オランダの戦後復興を支えた声―プロテスタント神学者A. A. ファン・ルーラーの「ラジオ説教」(2009年)

関口 康

2008年12月10日(水)、一人のプロテスタント神学者の「生誕100年」を祝う記念講演会がアムステルダム自由大学で開催された。日本からは私と2名の日本人留学生との計3名が出席した。オランダ人以外には、ドイツ人やアメリカ人や南アフリカ人も出席していた。主題講演を担当したのは日本でも有名なユルゲン・モルトマン博士(テュービンゲン大学神学部元教授)であった。他にも多くの教授がこの神学者の生涯や思想に関する講演や研究発表を行った。出席者は約200名。会場の講堂(Auditorium)が満席になった。

このプロテスタント神学者の名前はアーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])。20世紀中盤のオランダで活躍し、今から39年前に62年間の生涯を閉じた。現代のオランダ・プロテスタンティズムの一時代を築いた立役者の一人であることは間違いない。そして左記の講演会の盛況ぶりを見るかぎり、今日なお彼の人気は衰えていない。

本稿の目的は、ファン・ルーラーという人物の活動の一端を紹介させていただくことによって本誌今号の特集テーマ「オランダ―小国から見えてくるもの」に寄与することである。この神学者が現代オランダ社会において果たした小さからぬ役割を知っていただきたい一心で、私は本稿をしたためている。

「書斎の人」と「ラジオの人」

ファン・ルーラーの父親はパン配達職人であった。必ずしも裕福でない両親の長男として生まれたが、「牧師になりたい」という幼い頃からの願いを実現すべく、地元アペルドールンの超難関ギムナジウムを卒業後、フローニンゲン大学(Rijksuniversiteit Groningen)の神学部で学んだ。卒業論文のタイトルは「ヘーゲル、キルケゴール、トレルチの宗教哲学」であった。大学卒業後、400年の伝統を有するオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)〔この教団は2004年以降オランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland)に統合されている〕の牧師を務めた。さらにその後、神学博士号を取得し、ユトレヒト大学(Rijksuniversiteit Utrecht)神学部に設けられた「オランダ改革派教会担当教授」というポストに就いた。彼の職場は教会と大学であった。大学教授になってからも、ユトレヒト大学本部棟から徒歩10分のヤンス教会(Jans Kerk)に妻子と共に通い続けたし、依頼に応じて多くの教会で日曜日の説教を行った。

このファン・ルーラーが「書斎の人」であったことは間違いない。「書斎に引きこもった学者という面を持っていた」と評する人がいる。彼の書斎から生まれた言葉(説教、講演、論文、随想、書評等)が多くの人々に影響を与えた。2007年に刊行が始まった新訂版『ファン・ルーラー著作集』(A. A. van Ruler Verzameld Werk)は全8巻の予定であり、現在までに第一巻と第二巻が配本されているが、一冊あたり約500頁の規模を誇るものとなっている。筆まめな人であったことは確実である。その彼が一度も実行しなかったことは海外旅行である。また、英会話が苦手であったとも伝えられている。ハーバード大学のハイコ・オーバーマン教授(宗教改革史専攻)からアメリカ講演を打診された際、英会話の不得手を理由に断ったというエピソードが知られている。

しかし、ファン・ルーラーは「書斎の人」だっただけではない。ナチス・ドイツ軍の国土蹂躙から解放された1940年代後半から彼が突然亡くなる1970年までの約25年間、「ラジオ」という手段を用いて国民生活を精神的に支援した。彼は「ラジオ説教者」として有名になった。番組への出演は教会の牧師であった頃から始めたが、大学教授になってからも続行した。戦後のオランダには、彼のラジオ番組で「救われた」人々が大勢いたのである。

ペンは剣である。しかしマスメディアの力には人を圧倒するものがある。戦時中のオランダのラジオに響いていたのはヒトラーやゲッベルスらの声であった。同じメディアが戦後、異なる質の声を伝えはじめた。番組の内容はただひたすら聖書の言葉の〝神学的意図〟を解説すること、それだけであった。脱線的な余談もなければ、時事評論もない。私小説的な打ち明け話もない。しかしそれが大好評を博した。明るい声でユーモアを交えて語るが、下品さはない。この神学者の明瞭で落ち着いた声が、戦後復興に勤しむオランダ国民を支える小さからぬ力になった。

すべてが本に

その礼拝番組は「キリスト教専門ではない」という意味での「一般の」ラジオ局の製作によるものであった。ヒルファーサムに本社を置くそのラジオ局(AVRO)は、現在ではラジオだけでなくテレビやインターネットなど幅広いマスコミ事業を展開している。月2回、毎回10分間の番組は平均1245万人[a]のリスナーを得た(AVRO調べ)。現在のオランダ人口が約1700万人であることを考えると、その番組の国民的影響力がいかに大きかったかが分かるだろう。

しかも驚くべきは、放送終了後、番組で語られた説教のすべてが、本人の手で清書され、『聖書黙想集』(meditatie)と銘打たれた出版物となって発売されたことである。『聖書黙想集』は著者生前のものと死後のものを合わせて19冊出版された。そのうちの3冊が英訳され、1冊が独訳された(さらに最近、その独訳に基づく日本語版が出版された)。

「とにかく地上に生きなさい!」

これほどの人気を得た彼のラジオ説教のどこに魅力があったのだろうか。この問いへの答えを得るために最も手っ取り早い方法は、彼の説教から特徴的な言葉を拾い上げてみることだろう。それは、たとえば次のような言葉であった。

「信仰とは、まるでわたしたちを不可視的な世界の事柄のみに方向づけるものであるかのように思われがちです。しかし全く正反対です。信仰はわたしたちの目を可視的な現実へと向けさせるのです。信仰はわたしたちの目をわたしたちがまさにいま立っているこの現実の世界を生ける神の視点から見つめ、かつ体験することへと向けさせるのです」(詩編104編1節から4節までについての説教。1955年の聖書黙想集Vertrouw en geniet!『安心して楽しみなさい』の51ページより引用。拙訳)。

「わたしたちが永遠の命を見つめるときには、地上的で時間的で歴史的な命から、一瞬でも目をそらしてはなりません。全く正反対です。そのときにこそ、わたしたちはそれ〔地上的で時間的で歴史的な命〕をしっかりと見なければなりません。そのときわたしたちはそれをはっきり見ることができるのです。わたしたちの目はもはや涙でかすんでいません。わたしたちの涙は目から拭い去られているのです。永遠の命とは、わたしたちが待ち望んでいるものの内容です。わたしたちはこの希望を大事に温めています。しかし、そのことは、地上の命を過小評価することへとわたしたちを導くわけではありません。これも正反対です。もしこの希望がもはやわたしたちの心の中に無いならば、地上の命もそれ自体において悲惨なものになってしまうのです」(使徒信条における「我は永遠の命を信ず」についての説教。1968年の聖書黙想集ik geloof『我信ず』の157ページ以下からの引用。拙訳)。

「キリスト教もマテリアリズム(物質主義)です。キリスト教はいみじくも、終末を歴史の終末として理解します。しかし、人間と世界の諸問題を十分に深く見つめます。それゆえ、キリスト教はそれらの問題解決についても十分に深く見つめるのです。使徒的なキリスト教と比べれば、共産主義はその問題提起において常に偏狭な何かであり、ブルジョア的な何かです」(コリントの信徒への手紙一の15章50節についての説教。1964年の聖書黙想集de dood wordt overwonnen『死は克服された』の148ページからの引用。拙訳)。

これらの例から明らかなことは、ファン・ルーラーの説教には「とにかく地上に生きなさい!」というメッセージが込められていたということである。そして、これこそが彼の神学思想の核心であり、彼が理解したカルヴァン主義であり、プロテスタンティズムであった。

ファン・ルーラーは「不可視的な世界」や「永遠の命」を見つめながら生きることを否定したわけではない。たとえば彼と同世代のドイツ人神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは「非宗教的キリスト教」を提唱したことで知られる。ボンヘッファーのこの主張は世俗化(=教会離れ)が加速度的に進行していた戦後のヨーロッパ社会に大きな影響を与え、歓迎されもした。しかしファン・ルーラーはその道を歩まず、キリスト教の(形而上学的)宗教性を擁護した。この点で彼は〝保守的な〟神学者とみなされた。

ところがファン・ルーラーは他方で、「可視的な現実の世界」や「地上的で時間的で歴史的な命」への過小評価や蔑視をもたらすあらゆる思想や生き方を拒否した。キリスト教信仰や教会通いが現実逃避の手段とみなされることを嫌忌した。厭世的な態度をとりつつ教会に引きこもるばかりで日常生活を楽しもうとしない「敬虔なキリスト教徒」に対しては「創造者なる神への冒涜の罪」を宣告することを憚らなかった。また左記のとおりファン・ルーラーは「共産主義」を批判した。しかしその趣旨は「共産主義」におけるマテリアリズムの不徹底を批判することにあった。地上志向性の度合いは(本来の)キリスト教のほうが共産主義よりも高いと主張した。この点で彼は〝リベラルな〟神学者とみなされた。

このようなファン・ルーラーの立場を1960年代のアムステルダム自由大学神学部で教えたH. M. カイテルト博士は次のように評した。

「ファン・ルーラーは、独創的であると同時にきわめて伝統的でもある。彼は現代的であると同時に保守的でもある。次のように語ることさえできる。彼は右翼であると同時に左翼でもある。このことは、神学者としての彼を捉えどころのないものにし、謎めいたものにさえしているが、それと同じくらい、興味をそそられるものにもしているのである」(この文章はファン・ルーラーの旧版の『神学論文集』(A. A. van Ruler Theologisch werk)の第二巻(1971年)と第三巻(1971年)のカバーフラップで紹介されている。初出Trouw誌、発表年不明)。

このファン・ルーラーの声が、そして彼の神学思想が戦後復興期のオランダ人に生きる勇気を与えるものになった。彼が発したメッセージは、オランダ人の「教会離れ」を食い止めることに貢献したとは言いがたい。しかし、この神学者のミッションは〝人を天国に送ること〟ではなく〝地上に神の国を打ち立てること〟にあった。言い換えれば、宗教を「民衆のアヘン」にせず、非陶酔的に眼前の現実を直視しつつ希望ある社会を建設しうる人間を育てるための原動力にした。ファン・ルーラーから学ぶことは大きいと、私、牧師は思っている。

(『三色旗』2009年10月、慶應義塾大学通信教育補助教材、慶應義塾大学、2009年、8-21頁)

編注(関口康)

[a] この数字は訂正する必要がある。再調査中。