(最終更新 2023年2月28日 21:16 p. m.)
Reformatorisch Dagblad/関口康訳
Reformatorisch Dagblad/関口康訳
2007年9月27日(木)10時56分
これは国民的に重要な出来事である。このようにH. W. ド・クネイフ教授はプロテスタント神学者A. A. ファン・ルーラー(1908~1970年)の『著作集』第一巻の登場を表現した。「今や我々はオランダの誇る3大神学者の著作集を持っています。ミスコッテ、ノールドマンス、そしてファン・ルーラーです」。
出版計画室長であるライデン大学のG. ファン・デン・ブリンク教授は、9月26日(水)ユトレヒトのヤンス教会で、ファン・ルーラー著作集出版計画の背景を明らかにした。出版計画を思いついたのは、21世紀に変わったばかりの頃である。ファン・デン・ブリンク教授は、次のように説明した。
「ファン・ルーラーは、20世紀のオランダ改革派教会(NHK)の誇る3大神学者です。それにもかかわらず、ミスコッテとノールドマンスには詳細に校訂を施された著作集があるのに、ファン・ルーラーにはない。なぜか。我々はどうやらその原因がすでに出版されている全6巻の『神学論文集』(Theologisch werk)にあることに思い至ったのです」
従来の論文集は、特に脈絡もなくただ並べられただけの全72編の論文が収録されていて、脚注すら付いていない。20世紀の終わり頃にファン・ルーラーの家族がユトレヒト大学図書館のファン・ルーラー文庫(Van Ruler Archief)に寄贈したのは、72編どころか、なんと800編以上の論文だった。
「このたび出版された新しい著作集は、未出版論文や内容的に重複する関係にある論文を公表し、この神学者の思想的発展を理解させようとするものです。我々はファン・ルーラーに神聖不可侵(sacrosanct)の名誉証書を与えたいのではありません。彼の神学はすべての時代の教会に根差すものだったことを明らかにしたいと願っています。我々は彼のことを全く分かっていませんでした。彼を全く知りもせずに歌ってきた詩人どもを、ファン・ルーラーが鞭でひっぱたきに来たのです」。
著作集の編集を担当している調査員ディルク・ファン・クーレン博士は、ファン・ルーラーは相当「ふざけた」人であったと、次のファン・ルーラーの言葉を引用しながら述べた。「サッカーはお祈りすることよりも重要ですらある」。
ファン・ルーラー文庫は無尽蔵である。そのことをファン・クーレン氏が確かめた。「彼の書物を最初から最後まですべて読むことは無理だと思います。説教に至ってはすべて読むのは絶対不可能です。それ自体がひとつの研究になります」。大量のカードが入っている、ファン・ルーラーが自分の文庫のために作成した索引カードボックスは、出典を引用するために非常に役に立つものである。
ファン・ルーラーの特徴は彼の非常に広大な視野であると、ファン・クーレン氏は述べた。ファン・ルーラーにおいて神の国は大きな役割を果たしている。「世界の存在はキリストとその救いのみわざよりも重要である」。
リアクションの神学者
オランダプロテスタント教会の常任書記長バース・プレシール博士は、ファン・ルーラーを「ある意味でリアクションの神学者」と呼ぶ。古いものを古いからこそ価値があると称賛することはありえず、あくまでも現代神学に利用するだけである。
「私の印象ではファン・ルーラーは、彼の提案に対して同僚の提案者たちの抵抗を感じるときこそ、ますます元気になりました。抵抗と議論が修正と新しい提案を導き出しました」。
プレシール氏はファン・ルーラーの講義を魅力あふれる出来事として思い起こす。
「ファン・ルーラーは健康を害しておられたため着席なさったままでしたが、光り輝くようなお顔で講義してくださいました」。
プレシール博士はファン・ルーラーの宣教論に関する学位論文を執筆した人である。
「ファン・ルーラーが私に教えてくださったことは、自立して神学すること(zelfstandig te theologiseren)であり、未来を見通す目を持って物事を過去から考え抜くことであり、それによってもしそこに可能性がひとつでもあるならばその可能性を決して無駄にしないこと、です」。
ファン・ルーラーは、ローマ・カトリック教会に照準を合わせたエキュメニズムに着手した。かつてこのNHKの神学者は2つの「改革派教会」(NHKとGKN)の衝突に「家庭内争議」と名付けた。「二つの改革派教会の合同運動の中に後からルーテル教会が加わったことをファン・ルーラーはきっと喜んでくださるに違いありません」とプレシール博士は述べた。
「2003年12月にユトレヒトで行われたNHKの大会で、合同に関する決議が行われた瞬間、私はファン・ルーラーのことを考えていました。家庭内争議は終わりました。ありがとうございました、と」。
ファン・ルーラー神学講座を担当しているH. W. ド・クネイフ名誉教授(教義学者)は、『ファン・ルーラー著作集』の出版計画に対して最初は非常に否定的な考えを持っていた。ところが、第一巻を読んだド・クネイフ氏は「これは国民的に重要な出来事だ」と言った。ファン・ルーラー神学の特徴は、体系に組み込まれることを嫌うこと、そして細部に関心を寄せることにある。
「特にファン・ルーラーらしいと言いうる点は、彼がどこまでも特殊な問題に入り込み、そこにいつまでも留まり続けるところにあります。しかし同時に彼は常に全体を見ています。ファン・ルーラーにとって『キリスト教的であること』は『最も一般的であること』を意味します」。
ファン・ルーラーとセオクラシーは緊密な関係にあった。
「セオクラシーという言葉を聞くと、多くのオランダ人は不寛容やテロリズムを思い浮かべ、背筋が寒くなります。ファン・ルーラーにとってもこの言葉を擁護することは容易ではありませんでした。セオクラシーはファン・ルーラーの基本思想であり、非常に愛していました。彼はそれを道徳的教訓や実践への呼びかけのような意味で語りました。ただし、それが神学的な事実であることを重視しました。神が治めておられる事実であることが重要です。しかも重要なのは理念ではありません。歴史的な事実であることが重要です。福音が説教されること、それがすでにセオクラシーの一つの形です」。
ファン・ルーラーは欧州連合(EU)にも「前文を除いては」反対しなかっただろうと、ド・クネイフは推測する。神学部は今、ユトレヒト大学においては確かに小さく束ねられた子供である。しかし、ファン・ルーラーにとって神学は諸学の女王である。神学にこそすべての問題が集まる。この点でファン・ルーラーはカール・バルトとの差がほとんどない、とド・クネイフは述べた。
ブーケンセントルム出版社のN. A. ド・ヴァール氏が、ケース・ファン・ルーラー氏(ファン・ルーラーの次男)とド・クネイフ教授とプレシール博士との3名に第1巻の見本版を手渡した。「この3名の方々は、家族と学問と教会のそれぞれを代表して立っておられます。この3つの領域をファン・ルーラーは重んじました」とド・ヴァール氏は述べた。
(『改革派日報』2007年9月27日付け)